映画『沈黙/サイレント』

皆様、当サイトをご訪問下さり、ご縁に感謝いたします。

良き気づきがありますように・・・。

先日、ひょんなことからTUTAYAに行くことになり、無理くり新作&準新作1000円分を選んでおりました。

3枚は決まり、あと1枚を何にしようかな~と言うところで、この導きの意味を理解しました。

棚には、『沈黙』の文字が・・・。

「沈黙って、あの沈黙?」と、マジマジと見て見ましたら、

そうです。あのキリシタン迫害の『沈黙』でした。

「・・・(-_-;) これを見ないといけないのか・・・。あの本が映像になっているんでしょ?」

としばしそこで躊躇しておりました。

内容が内容だけに、私の過去世とも重なり、とても気分が重かったのです。

天使が「浄化になります」と伝えて来たので、しぶしぶ観る決心をして借りてきました。

娘二人に、「ハンカチ用意しときなよ」と言ったものの、涙が出るようなシーンはなく、常に降りて来るあの時代のバックヤード(魂の事情)。そして、高次の男性の声で、癒やしの言葉が聞こえました。

実は、このブログは、一度長々と書いたのですが、全部消えまして(;^_^A、宗教に絡んだお話なので、そうなったのかな~と思ってます。

なので、イエス様の言葉をここに書いていいのかどうか・・・。チャネリングがどのようなものか知らない人にしたら、あの有名なイエス様が話しかけるなんてウソだ!と思うかもしれませんが、チャネリングで高次の存在と繋がる事って、別に難しい事ではないし、恐れ多いとか思っていたとしたら、全くイエス様を理解していないと言えます。

イエス様は、私達と共にいると常に語っていましたよね。信仰とは、その言葉を信じることを言います。このことを理解出来たら、チャネリングの回路が正しく作用すると思います。

チャネリングの内容は、私の思考から産み出したものではないので、もう一度思い出すことが出来るかなと心配ですが、とりあえず、映画の感想を書いてみたいと思います。


お話の内容は、あまり書くとこれから見る方に申し訳ないので、私のスピリチュアルな感想を述べたいと思います。

この映画に出て来る井上という筑前守(ちくぜんのかみ)がいます。この方が弾圧の指揮をとっています。その処刑の方法は、ヒトラーより残忍な気さえします。なんだか、日本人って怖いな・・・て思うほどです。

私の脳裏にわらわらと降りて来る解説では、目の前で起きている人間の所作とは思えないような残忍な行為に対し、そこに至った人々が、どのような目的で、その人生を選択してきたのかについて語っていました。

例えば…と言う感じで降りて来たのですが、過去世でイエズス会に属していたけれど、最終的に、イエス様を信じきれたのかどうか?もしかして十字架送りにした民衆の一人ではなかっただろうか?

イエス様は、彼らの行為を許し、そういうものすべての罪を背負ってこの世を去りました。

この事に対し、後悔した者がいて、罪から逃れたいとか、正しい信仰とは何だったのか?それを学ぶために、もう一度選択の時を迎えていたり・・・。ということで、全ては、罪の意識から起きた時代背景だったのではないだろうか?と言うものでした。

原作での井上(そう呼ばれていた)は、フェレイラ神父という宣教師に出会い、一時は、宣教師の教えに対し、信仰心を持っていたと記憶しています。

けれど、キリシタン達の信仰は、宣教師の伝えようとしているものとはかけ離れていたのです。

日本は、元々仏教国で、仏像を拝む習慣がありました。なので、キリスト教徒になっても、十字架を大切にし、十字架が神なのか?、神とはどういった存在なのか?そこらへんの認識が著しくねじ曲がって伝わっていました。救世主がやって来て自分たちを助けてくれると信じていました。

パライソ(パラダイス=天国)は素晴らしいところ。だから、死を恐れない。という考えでした。

言葉の違いによって、正しく伝えることが難しかったのでしょうね。

現在でも外国ほど目に見えないレイキが浸透しないように、日本は昔から仏教の色が濃いようです。

ブッダは人としてこの世に生きていたので、創造主のように、どこにいるのか分からない存在より、分かりやすかったのでしょうね。要するに、物質的だったという事です。

海外では、キリスト教が浸透しているので、スピリチュアルな事や霊の世界に寛容です。よって、レイキも海外で発展してきました。

日本は、日出所の国。生み出す力を持っているのに、定着させるノウハウがないようです。

ひとつ思い出しました!

私、この映画を見て『沈黙』という題名の意味を深く理解できたのですが、

「そうだ!、神様もイエス様に対し、沈黙だったな・・・」と思ったのです。

その時に、


       「沈黙していたのではない。選択は、彼らに委ねられていた」


と言う内容の声が聞こえました。イエス様とて、生きたいと願う選択肢を与えられていたのかもしれません。しかし、未来を見通す彼は、自分が影響を及ぼすずっと先の事を考えると、その選択が出来なかったのかもしれません。

書は、イエス様が書いたのではなく、ある意味想像によって書かれた部分も多いと思うので、私はあまり読む気にはなれないのですが、私的な、つじつま合わせだとこのようになります。

もうひとつも、もうすぐ思い出せそうなのですが、内容はね、なんとなく分かるのです。

真の信仰の意味を学ぶ事、だったと思います。

えっとね、祖母が何度も私に伝えようとしていた『偶像崇拝は罪だ』と言う言葉があります。

「罪」とまで言ってしまうと言葉にとげがありますが、祖母は過去世でシリシタンでした。

その時の大反省から出た言葉だったのだと思います。なので、「罪」も自分たちに対しての表現かもしれませんね。

そうそう!思い出しました!

私が、イエス様が生きて布教してくれていたら、こんなにも間違った福音にはならなかっただろうにな~と思った時でした。


       「姿も物質に過ぎず、生きていなければならないということではない。

          私は、常に傍にいることができる。その声を聞きなさい。」


そう聞こえました。この言葉が、凄くストンを入って来て、なんでしょうね?

私も島原の乱を経験しているので、その時の生きようとしない民衆に対する残念な気持ちとか、悔しさ、そして、どうしてそんなことになったのか?という苦しみが、解けていくようでした。

もう一つ降りてきた言葉があります。それは、『裁き』と言う言葉でした。

もう一度、信仰を試されたという事なのでしょうか?

最後の宣教師ロドリゴ神父は、踏み絵を許そうとした宣教師で、絵に価値などないと知っていました。

だからでしょうね。この映画の最後に、彼は、イエスの言葉をいくつか受け取ります。

その言葉を、是非キリシタン迫害の経験をお持ちの方々に聴いて欲しいと思いました。

            キリシタンの信仰は、間違っていた。

だから命を落としたのだという事、救いが来なかったのだという事を受け入れてもらえたら、魂が解放されると思います。そして、イエス様の言葉から、真理を正しく理解するステージへと進んでもらいたいと思います。

私、宗教の回し者ではないですよ。基本無宗教ですのでね。私のお伝えしたい信仰は、宗教をこの世の文化として受け入れ、そして、もうひとつ、悟りという真理の世界を持って頂きたいのです。

真理には、垣根がなく、どんな宗教をお持ちの方でも受け入れて下さいますよ^^

幸せになって下さいネ!

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