メアリーとジーザスのご感想
皆様、聖蓮のブログをご訪問下さり、ご縁に感謝致します。
良き気づきがありますように・・・。
5000円で受けられるアチューンメントのご紹介とご感想です。
このアチューンメントは、皆さんもよくご存じの、マリア様とイエス様のエネルギーに繋がります。
宗教的には、恐れ多いと感じるでしょうか?
もしそんなことに拘っているとしたら、イエス様のことをほんとに理解しているとは言えません!
イエス様は自分や他人や動物、自然を愛する事、平和に生きる事、慈悲の心を育むようにと言われると思います。
イエス様は人に近い位置にいてくださるのに、肝心の私達が恐れ多いなどと目を伏せていては全く真理が機能しないことになります。
なぜそんなに恐れるのか?変でしょ?救いますって言って下さる方に対し、結構です!と言っているようなものなのにね。
一度、宗教的な縛りを持っていないか?自分をチェックしてみてください。
皆さんは、イエス様に限らず、マリア様、天使達は、はるか遠くにいると言う認識でいますか?
そんなことは全くなく、スピリチュアルな目線で見る彼らは、すぐそばに座って話を聞いてくれます。
それが、聖書の中のイエス様の姿です。天使も一緒で、私達の頭上でいつ相談事をしてくれるのかと待ち続けています。ほんの20~40cmくらい上ですよ。
今気づきましたが、イエス様と違い、もし観音様とかブッダだとしたらどうでしょうか?
近寄ることに抵抗あるかな?私は、全くないように感じました。
と言う事は?キリスト教だけがとても距離を持っているのかもしれません。今世でと言うよりは、過去世で洗脳されていたのでしょう。
聖書からは感じられないこの距離感・・・。こういうのはね、人が勝手に作った距離感なのです。
どんなに信仰していても、イエス様がどんなにこっちへ来なさいと言ってくださっても、そこにたどり着くことはないでしょうね。
イエス様やマリア様の愛に包まれてみたい・・・、そう心から思う方や、興味がある方は、是非受け取ってみてください。後で書きますが、このアチューンメントで私がイエス様から受け取ったメッセージは、イエス様らしい、イメージそのままのお言葉でした。救われたいと願い続けてきた方の心に染み入ると思いますよ。
それでは、ご感想です。
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一通り用事を終えてから帰宅し、準備を整えメアリー&ジーザスを今日中に受けることができました。 テキストを読みながらアファメーションをしました。
メアリーのエネルギーとしては、頭の後ろやや斜め上らへんから支えられる感覚と腕をはじめとした上半身にリアルにジワジワとした温かいものを感じました。
「楽しみや幸せを受け取りそれを自分が感じることを許します。」と、口から言葉が出ました。
ジーザスのエネルギーとしては、いきなり深呼吸を大きくして、やっとお腹まで息が吸えた!という状況を何度か繰り返し、やっと「楽しいことを拒絶するのを辞めますね、ありがとう!」と言葉で喋っていました。 自分の口から喋ったそれぞれの言葉に、普段言わないフレーズなだけあってか、
あれ?!なんでこれがでたのかな?と思ったけど、やっとか〜っていうスタート地点に来たわ!という感覚になりました。
まだ、今朝の苦しさや痛みは少し残りますが、これからも今日のエネルギーに繋がり少しずつ体感していきたいと思います! ありがとうございました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ありがとうございました。
朝、胸元の痛み・胃痛・頭痛を感じたそうです。
これから手放す苦しみが一気に表面に出てきたように思います。
でもこれは悪い事ではないんですよ。
知らないことが一番よくないのです。今の辛さから解放されたのちの自分と比較する事も出来ますし、私が受け取ったメッセージに繋がるような不調の数々だと思いました。
私が受け取ったメッセージは、以下のようなものでした。
『叫びたくなるようなことがあれば、そのすべてを包み隠さず私たちに渡しなさい・・・。 』
そうおっしゃいました。イメージそのものの慈悲の言葉だなとジ~ンと胸に染みました・・・。
叫びたくなる事とは、過去現在問わず、我慢しすぎて苦しくなった時は、イエス様に全部手渡しなさいと言ってくださっています。イエス様がA様の代わりに痛みを受け止め、純化して取り除いて下さいます。
祈りを使って、苦しい事をイエス様やマリア様に打ち明けてください。
「痛みから解放されるにはどうすればいいですか?」と尋ねてみましょう。
宗教的には、「祈りなさい」と言われますよね。
そして、苦しい胸の内を伝え、どうか助けてください!と言うでしょう。
ここが、宗教的だなと思う部分です。私も教会に通い祈りを捧げた経験がありますが、正にこのお祈りの仕方でした。
でも、今はそれが間違っていたと分かります。
今の私は「どうかここから脱出するための知恵をお与えください!」と祈るでしょう。
他力本願ではない祈りをします。これならバッチリ救われますよ!
自分で乗り越える知恵をくれます。これが現実を生きるための祈りなのです。
これまで救いが来なかったとガッカリされたことがある方、是非もう一度新たな祈りでチャレンジしてみてください。アチューンメントと言うのは、その依頼(祈り)になりますよ。
イエス様は、お金を掴む者は、天国へはいけないと言いました。お金は物質を意味します。
地上の物が好きならお金を掴みなさい。真理を得たいのなら、光を掴みなさい。
と言う事なのです。私は、お金を支払ってアチューンメント(光)を受けてきたわけですが、これの意味するところはね、物質界よりも精神世界がいい!イエス様その他の高次の存在と繋がりたい!と宣言したことになるのです。そのために手放すことになるのがお金。なかなかの学びですね。
人が一番執着するものを捨てることで精神世界へと向かうようになるのです。教会では、献金をしますが、あれも同じ原理で始まったものかもしれませんね。
宇宙はほんとに事細かく人が自らの弱さを知ることを試練として設定しされていますよ。
神から生まれ、神のもとに還るプロセスを生きている私達です。やるべきことは、地球の次元を超えていく事なのです。アチューンメントは、その高次の世界への橋渡しをしてくれます。
物質への執着や恐れを手放した代わりに得たものは、お金には代えがたい、お客様や子供達や家族を守る知恵や、自分の心の中から苦しみを取り除くことができるようになりました。
私の場合は、仕事上自分に必要だと思ったってのもあったんですけどね。
どんどん変わっていく自分が嬉しくて、受け取りが楽しくて止められなかった。
というのが本音かな。
お代金という物質を手放しましたが、その分以上の成果を自ら取りに行くことが出来たので、大満足しています! イエス様がおっしゃったことは真実でしたよ。
誤解のないようにもう一度お伝えしておきますが、お金をかけることが幸せに直結するわけではないですよ。受け取り、自分との対話を続け、良くないエネルギーをどんどん手放していくと言う努力が必要が結果を生むのです。私は、そのことも含め、楽しめています。
これからも受けていきますが、もう今は、真理を追い求めると言うよりは、趣味の一環として続けていきたいと思っています。私なりの自分磨きの方法なのです。
私が神様に叶えてもらった祈りのお話をここでもしてみたいと思います。
私、15年くらい前、やっと夫婦として成り立ち始めていたんですね。そうなってみて思ったことは、二人の子供達に大変申し訳ない親だったという大後悔でした。そして、主人とバラバラの心で生きてきた時間を悲しく思い、もう一度初めからやり直したいと思ったんです。
その時に、上のA様ではないけれど、祈りの言葉が心の底から絞り出されました。
『天に増します我らの父よ、私はもう一度主人と一緒に子育てがしたい。後悔したことを改めたい。
どうか子供をもう一人お授けください!私の子供は3人です。できれば女の子を!アーメン』と。
以下は、私が日曜学校に通っていた時に毎回捧げていた『主の祈り』です。サイトに出ていたので、懐かしくてここに添付してみました。子供の頃の話なので、何を唱えているのか?理解していませんでしたが、こうやって読み返してみると意味が分かりました。
ウィキペディアによると、イエス様がこう祈りなさいと弟子に伝えたものだそうです。
主の祈り
天にまします我らの父よ。 願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。 御国(みくに)を来たらせたまえ。 みこころの天になるごとく、 地にもなさせたまえ。 我らの日用(にちよう)の糧(かて)を 今日も与えたまえ。 我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。 我らを試(こころ)みにあわせず、 悪より救いいだしたまえ。 国と力と栄えとは、 限りなく汝(なんじ)のものなればなり。 アーメン。
子供は3人です。って面白いでしょ?だいぶ後に知ったのですが、アトランティスでは、3と言う数字にも意味もあるのですが、子供は3人と決まっていたとか・・・。
私、今世、あの時代のやり直しをしているので、3人に拘っていたんだと思います。
3人そろっていないことに違和感さえありました。
その後、ほんとに1か月とかそれくらいだったと思うのですが、次女を授かりました!
自分でお願いした割には、かなり驚きましたけどね。年齢や資金的には生まないほうがいいだろうなと思ってましたからね。やっと働きに行けて半年がたったころでしたので、実際に子供ができたと分かった時、手放しでは喜べませんでしたが、私はあの時も、お金より授かった命(豊かさ)を選んだんだと思います。
この祈りがどなたにでも叶えられるものかと言われたら、残念ながらその確信はありません。
私は、子供が欲しいと祈ったのではないのです。無意識に今世の人生の目的を果たしたい!と願っていたのです。これも宗教の祈りと真の祈りの違いと同じことが言えます。
こういうのを聖なる祈り(願い)と言います。どんな試練になろうとも、二人でしっかり子供を育てます!みたいな気合の入った誓いを立てたことになるのです。
その後は、なんとか夫婦としてやって来れましたけど、試練は多めでしたよ。
子供達3人ともが、試練多めだし。それでも私が挫けずにいるのは、誓ったからです。
結婚式でも誓いますよね?でも、たくさんの方が離脱するようになりました・・・。
いろんな理由があり、その選択が正しい事もあれば、間違っている事もあるしで、それが人生の選択なのですが、あの誓いは、「たぶん」と前につけておいたほうがよいかもしれませんね"(-""-)"
結婚って何度も逃げ出したいと思うものね。それが当たり前。
だって結婚=カルマ解消の試練の一つだからです。そして、乗り越えた先にあるのは、より神に近くなった私達なのです。そこを目指して転生してくるのです。
願いを叶えたいときは、祈り方を他力本願ではないものに替えてみてください。
そして、天命にフォーカスしていましょう!
もっとたくさんの方々がエネルギーワークに興味を持ち、幸せを感じてくださると嬉しいです。
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