神秘学、不死性について
『春の「死→復活」 ルドルフ・シュタイナー ▼
『魂のこよみ』 からの抜粋!』
という事をお書きになってるサイトから私も抜粋させて頂きました^^;
『魂のこよみ』は、まだ購入していない本ですが、ずっと気になっていました。
では、その内容です。
復活祭のことを考えてみてください。復活祭を通してイエス・キリストは、人間の進化のために恩寵を与えました。死の謎が特別強く、人々の心をとらえた時代に、不死なる存在として自らを現し、不死なる人間、死を通して復活を見出した人間という手本を人々に示したのです。そして、このことは古代の伝統からも理解できます。 古代人は生まれる前の生活を理解していました。死を地上において見、復活をイエス・キリストに見ようとしました。しかし、イエス・キリストは復活のあとに、聖霊降臨の秘密をも示しました。イエス・キリストは人々に聖霊を送り、それによって人々は自らの力でキリストを体験できることを示したのです。 そして人々は、この体験を地上の経過とは逆の道を辿るときにのみ持つのです。すなわち、はじめに復活を体験し、その体験された復活のあとで、正しい仕方で肉体の死を遂げることが出来たときにです。つまり、あらかじめ内的に魂を復活させることによってです。 誕生から死までの間に、私たちはゴルゴダの秘蹟と深く結びつきます。 それによって魂は、高次の生き方が出来るようになります。そして、それによって魂は霊的な意味での復活を遂げ、そしてこう実感します。― 「私は復活した者として、地上の死の門を通っていく」と。 人間が自分の不死性を忘れないように、神々が人間のために配慮してくれたのです。そのことが、復活祭での 「死―復活」という順序で人々の前に示されているのです。
分かりにくいでしょうか?私も理解が難しい^^; シュタイナーの表現は、新たに翻訳されたものでないと、同じ説明が何度も繰り返され、頭を抱えるものが多い。
天使がこう教えてくれました。
『あなた方は、死を別れだと考えますが、私達にとっては、生まれる事でもあります。こちら側では、地球での学びを終えて、あなた方が帰って来たことを歓迎します。』と。
要するに、本当の私達は、魂のほうで、人として生きているのは、仮の姿。と言う事ですね。
死を別れと考えたら悲しいけれど、死をもって、生まれ変わった(復活)と考えればいいわけです。
私達は、この世に生まれることで復活を経験して、そこから死に向かい、また故郷に帰る。
これを繰り返しています。
で、キリストは、この世に生まれたことが死。そして、身体を捨てる事で復活(高次の存在として)したのです。
復活って言うと、目に見える姿を想像しますが、私は、マグダラのマリアが見たのは、イエスの魂の姿だったのではないかと思っています。
上の文章を読んで、死後も存在していることを伝えたと言う事なのかなと思いました。
死は、全てが消えてなくなるような印象を持っていますよね。
そして、キリストは、この世が仮の姿で、死後復活したのが本当の姿だったという解釈で良いと思います。
人が考える「死」は、本当は存在しないのです。体はなくなっても魂は存在していますものね。
「不死」なんですよね。
ひとつ注意しておきますが、「正しい仕方」でと書かれているように、天寿を全うしてこそですよ!
途中リタイヤすると、闇と言う地獄行きで、彷徨いますよ。
もし、天寿の最後が自殺に設定してきたのなら、それは、ダイングメッセージを残すという運命だったのでしょうけど、そういうのは、稀ですので、きっちりと生き抜きましょうね!
ちなみに、こういう死もあります。霊にとって邪魔な人間は、エネルギーを奪われ、思考できなくされ、霊のいたずらで「死にたい・・・」と思うようになります。
そして、飛び降りたり、飛び込んだりするのです。自殺なんて、とても勇気がいりますよね(-_-;)
なのに、それをするのですから、その勇気を生きる事に使えなかったのかな~と思いますよね。
だけど、そう出来ない状態に陥っていた・・・と言う事もあります。
身体が動かないな~と感じている方は、その状態は良くないので、レイキを持っていないなら、しっかりと日に当たり、運動し、森林浴して下さい。「引っ張られる」と言う事は実際に起きますからね。
それからね、調べている内に、アチューンメントに「エリクサー」と言うのがあるのですが、
「エリクサー」とは、錬金術のことだと分かりました!
確かに、エリクサーを使う時は、錬金術みたいな方法を取ってますね。
「エリクサーってどういう意味だろう??」と長年思ってましたが、またひとつ謎が解けました^^
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